「Patch8番勝負其の五 逆さの鳥」を観たという話

‪まだ一回しか逆さの鳥を観れていないけれどとりあえず書き残しておきたい、感想でも考察でもなんでもない主観だけの初期衝動。‬ネタバレあり。

 

 

‪とある授業でアートセラピーなるものを受けたときに色彩心理学の先生から

「あなたはものすごい警戒心の塊ね」

と診断を受けたことがある。‬
‪雨の日の自分を絵に描きなさいというようなテストだったと思う。‬
‪みんながふつうに傘をさしていたり、ズブ濡れだったり、雨合羽を描いていたりしていたから‬
‪雨の日→ドライブを連想しお気に入りだったピンクの愛車の中にいる自分を描いたらそう言われてしまったので‬
‪へえ、そういう自分がいるのかあとそのときは重く受け止めなかったが時折ふっとそのことが頭をよぎる。‬
‪わたしはわたしが自覚している心の弱さを隠したいし一番知られたくない恥部は誰にも明かさず誤魔化していたい。‬
‪他者と関わるときにまずこの人を信用していいかどうかを恐れてしまう。うわべじゃなくて腹の底を知りたい。わからないままでいることが怖い。‬
‪ゆえに手の内を自ら晒す。どんな人にも真摯でありたいから嘘はつけない。‬
‪あけすけに、人見知りとは無縁ですわたしはあなたを警戒していませんよというバカ正直者の擬態をして1を隠すために9の真実を曝け出す。汚い詐欺師のやり方だ。‬
‪身に染み付いてしまったこの生き方はけして騙したいからやってるとかではなくそれしか自分を守る方法がわからないから。目の前の人の人間性を引き出し真実を見極めるために自分が極端に距離をつめるようにしている。‬
‪馴れ馴れしいやつだなとか、こいつ頭悪そうだなというふうにとられることもあるけど先生の言った「警戒心」とはそういうことなんだろうなと自己分析をしている。‬
ややこしくてよくわからん人だな、って人に出くわすほど好奇心で妙に惹かれてしまうというか
全然理解出来ない価値観を持ったほどこの人を知りたいって異常に近づきたくなる。中には生理的に無理な人もいるんだけど。
ただ生理的に無理って五感で決めつける前に頭で受容するよう常にありたいとも思うし。
‪最終的にわからんものはわからんかった、でもいい。ないものねだりかもしれない。無理やり共感しようとはしない。姑息な同調は、私が他者に一番されたくない非礼だから。‬
‪今わからなくても、何かを得たり何かを失ったりしたあとでいつか理解できる日がくるかもしれないから心のノートにでもストックしておきたい。誰に否定されようがそれが私にとっては揺るぎない正義だ。‬

 


‪とまあ前置きがずいぶん長くなってしまったけれど、わたしがこういう人間なのだという前提のうえで‬

越智が言っていた
「別に俺を知りたいと思うのは勝手だけど真実を知ったところで何になる?お前が俺に何をもたらしてくれる?幸せにできるとでも思うのか?」
みたいな辛辣な言葉のすべて(でも彼の世界にとってはそれが正当防衛)が全部自分に向けられてる気になってグサグサと刺さっていた。
そして唐突に「お前は幸せに育ったんだろうな。お前みたいな人間には俺は松浦さん(岩崎真吾)に話したようなことは話さない。俺はお前と、松浦さんだったら松浦さんを助ける。お前を差別している」と烈火のごとく石つぶてを投げつけられた。
松井勇歩演じる越智に急に自分の価値を値踏みされ、向けられた氷のような敵意の視線は自分にとって抗い難い脅威だった。
藤岡(竹下健人)は言う。
「(自分が仮に幸せだったとして)幸せな人間は、そうじゃない人間を知りたいと思ってはいかんのですか」
その言葉にハァ…とこいつは何を言ってもダメだ。道理が通じない。とでも言いたげな態度を見せる。シャットダウン。目に見える形の拒絶だ。
あれだけ序盤では河野(中山義紘)や浅尾(三好大貴)に自分の半身である本懐に触ってほしい自分を助けてほしいと赤子のように同調を求め拒絶を恐れていたくせに。自分はさも大人の理屈かのように人を見限る、脆くて強かな彼がもう私はわからなくなった。
無意識のうちにひどく傷つけてしまったね。本当にごめんね。でも、じゃあ、越智にとっての逆さに吊るされた鳥が気になって仕方がないその気持ちと私の気持ちはどう違うの?
あなたが逆さの鳥に惹かれてやまないその感情と何が違うの?って想いだけが胸のうちをこだましていた。
純粋に知りたいというだけの欲求が誰かにとってはありがた迷惑だったり施しを与えられたような、非人道的なまでの屈辱に感じられたり苦痛を伴うものなんだということはきちんと心に留め置かなくちゃいけないって重く考えさせられた。
物語のなかでは、藤岡‪がきっとそうだ。‬
‪私は藤岡が軽薄で頭のあったかい人間だなんて微塵も思わない。町役場に勤める彼が理解を求め目を向けている世界は広くて当然だ。たとえ目の前の哀れな人間すら救えないくせに傲慢な、という事実を突きつけられたとしても。‬
‪だからあくまで私は、自分の正義を見失いかけた藤岡が松浦さんという目の前の人によって救われる世界にとても勇気付けられた。‬

「逆さの鳥」の舞台は愛媛県の小さな島のようなので、田舎で育った私にとっては

山と役場と生活に困らないための日用品店、寂れたパチンコ屋くらいしかない

物理的な面積は広くてもごくごく狭いコミュニティの中での出来事だということが妙にリアルに感じられた。
誰も間違っていないし、誰もが相手を知ろうと努力するし、誰かに助けを求めてる。
でも交わらない言葉や努力が無力化されて捻れてく渦の中で救われる藤岡とどこまでも世界から見放される越智の違いはなんなんだろう、本懐すら手放せない彼の世界を何が救うんだろうって考えたら自然と涙が出てきた‪。‬

 

 

‪ところで私は昔から漢字が苦手だと自認していて、今回も本懐という言葉そのものや意味合いを知らなかったわけではないんだけれど‬
‪何故だかわからないけれど本編を見ているときはずっと「本塊」という漢字で解釈していた。そんな言葉は無いのにね。なんか、肉塊とかそういう単語から連想してたんだと思う。‬
‪越智がほとんど唯一の理解者であるかのように肌身離さず手にするそれが、もはや越智が本塊を持ち運んでいるのか本塊によって越智が動かされてるのかどっちが本体なのか越智本人にもわからなくなってしまった。

そんなふうにわたしには見えていた。

 

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