33番書き取り帳が出ていません

会いたい気持ちが世界の中心

【舞台】劇団壱劇屋「五彩の神楽 荒人神~Arabitokami~」

 

www.youtube.com

 

これは“人”の物語

人は人を救う
人は人を殺す
人は人に絶望し
人は人に希望を託す

人は人を治める為に神となり
人は人の為に神に挑む

これは“人々”の物語
すべての人は人の為に立ち上がる

gosainokagura

  

※ここから前置きが長いです。

 

頑張っているだけ、がわたしは嫌いだ。

「頑張ってる」で全部済むの?頑張ってればみんな良い人なの?

尊敬してやまないマツコデラックスさんが言っていたのに深く感銘を受けたからです。

もちろん頑張る人そのものにも、それを応援する人にも非はないのだけど

私自身が何をやっても不器用だからこそ頑張っていれば認められる。結果が伴わなくても仕方がない。

そういう風潮に甘えたくない流されたくないと強情に思い込んでいるきらいがある。

実力だけでどうにもならないことはたくさんあるけど、もっと死に物狂いになれたんじゃないか?ベストじゃなくてベターなやり方をしてたならばどこかで頑張り方を変えるべきだったんじゃないか?って思わなきゃ納得できない。あ、これ全部(to 自分)って感じなんで悪しからず。

荒人神を観終わって、客出しにおられた竹村さんに劇団Patchの田中亨くんを客演起用してくださった感謝をどうしても伝えたかった、と同時に

バックの墨絵に描かれていたのはそれぞれの神楽の主人公たちだったので荒人神ではてっきり竹村さんだと思っていましたと率直な気持ちをお伝えしたところ

「僕は一番頑張っている人を墨絵にしたかったので、荒人神では田中くんだなと思ったんですよ」

と菩薩のように笑いかけてくださった。

もちろん田中くんが頑張っていたのは一目瞭然だし光栄だけれど。ずっと8月から神楽を作り上げてきて舞台上でも舞台を降りても汗だくの竹村さんが頑張っていないわけがないのに。善人にもほどがある。

自分の信条がガツンと揺さぶられた気がした。

 

夢を追う人たちは時代を作ってるっていう自覚がないのかもしれないし、オリンピック選手もそうですけど、自分のためにやってることであっても、それを観た多くの人が力を得ている。
がんばる人と応援する人のサイクルってすごいなと思うんですよ。
変な話だなと思うんですけど、結局は苦しんでることが誰かにとっての希望になるっていう。
苦しみ、輝き続けることが、あなた自身も、周りの人にとっても希望になるんだなって感じて描いた曲ですね。
それは、誰に対しても言えることですけど。

瀧川ありさ「at film.」インタビュー (2/2) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

「頑張る人と応援する人のサイクル」は至言だと思う。

わたしは誰かを応援している時間や、素敵な役者さんと心が震えるような演劇に出会えたときすらも自分自身のアイデンティティだと信じてやまない。

だから竹村さんの言う理不尽やどうにもならないことだらけの世の中にも世界に1人くらいは命をかけて助けてくれる人がいるんじゃないか?という考えを証明は難しいけれど演劇という形にしたかった。という言葉の

「助けてくれる人」のひとつが自分にとってはお芝居を通して新しい考えを導き出してくれる役者さんだったりもするのかな…となんとなく考えたりもした。

家族や友人らと同じかときにはそれ以上に、演劇には驚くほど救われたり大きな力を貰ったりしている瞬間があると自負している。

 

普段東京に住んでいる私が劇団壱劇屋さんのノンバーバル殺陣芝居を初めて観るにあたって

過去に「私、殺陣って見方がよくわからない」と言われ、自分は別に経験者でもなければ演劇に詳しいわけでもないので

「私もぶっちゃけよくわからない」と素直に返したことを思い出した。

決して殺陣という表現を軽視しているのではなくてあくまでも「舞台を観てる人の認識のひとつ」だと寛大に捉えていただけたら幸いなのですが

すごいのはわかる。この人は上手いとか今戦っているシーンでは誰が強いという優劣も漫然とわかる。

でも動体視力がマジでおばあちゃんなので、いつも派手な動作や刀の応酬を目で追うのに必死で気づいたら勝敗が決まってしまってて

セリフのないお芝居でそこに感情や物語が生まれるというのがあまり想像がつかず私の頭で理解しついていけるだろうか?というのが不安としてあった。

とりあえずそんなに予備知識を入れない状態で観に行こうと思った。

(でもまさかの無料配信に我慢しきれなくて雰囲気を把握するため戰御史だけ薄目で見てしまった。面白かったけど脳の消費カロリーが異常に高くてなるほどね…とドツボに嵌った。)

 

デフォルトの長い前置き、以上です。

 

本作の主人公たち。荒(竹村晋太郎)は初っ端から粗暴者の出で立ちでだるそうだがひとたび戦況に加わればめちゃくちゃに強い。無双。

搾取する者とされる者、その差が明確に描かれ

目に見えるかたちで醜い諍いや争いを起こす人間にはほとほと呆れた様子。

"弱者"と"強者"が点在する世界そのものに辟易としている。

一番最初に観たときは、不穏な空気を察した荒が必ず元(と白)をその場から遠ざけるのが意図的にしていることなのか

あるいは俗世離れした元には理不尽な人間社会がはじめから見えないようなつくりになっているのか?とも考えたけど

人斬りを元に見られてしまいひどく落胆する荒のシーンがあったことであぁやっぱり尊い存在に血を浴びせないよう守っていたんだなと納得してなるほどノンバーバル、とこのお芝居の楽しみ方に気づいた。

セリフや説明という制約がないからこそ関係性、演出意図、ストーリーラインがすべて観客個人の解釈に委ねられる。観ている側も都度修正したり脳内補完したりすることであらゆる可能性を想像しては創造していく。

役者さんにとっては台本に沿った物語や心情をいかに多く伝えられるかの責務があり技量を問われるので難しいだろうし

自由度が高いからこそあくまで与えられた情報をどこまで受け取るかも観客のさじ加減なのでそういう部分もむっちゃ演劇〜!って思いました。

ですのでわたしが書く感想もほとんど主観です。

荒が無数の刃を自在に操る化身だとすれば、元(田中亨)は鞘だと直感した。

刀身を収め、人を治めるために生きる少年。

元は決して強くはない。非力などころか他者に刃を向ける度胸すらない。

ただキラキラとした眼光には、敵の邪気が一瞬怯んでしまうような不思議な力がある。

荒がかつて違う世界で人を救うために使った大切な武器を託すだけの存在なのだから

強い・弱いではなくて何か特別な、元の側で人助けを手伝うかけがえのない理由がきっとあるんだろうなと推察した。

現人神 - Wikipedia

現人神(あらひとがみ)は、「この世に人間の姿で現れた神」を意味する言葉。

荒人神とも書く。 また、生きながらも死者と同じ尊厳を持つ。という意味もある 「人間でありながら、同時に神である」という語義でも用い、主に第二次世界大戦終結まで天皇を指す語として用いられた。

荒人神、というタイトルに文字通り人の形をした神という意味があるならば
荒という人間が救いを求める神はまぎれもなく元なのだろうと私は解釈する。
人間に絶望しかけている荒にとって純真無垢な元だけが唯一の希望で、闇を照らす光のような存在なのだけれど
生い立ちや他者から受ける扱いをみるに元も人の業や愚かさ、あらゆる不浄を知らないわけではない。

白(畠山薫)と出会った当初の元は人助けという義や生業に一切の疑いを持たず
実際に剣を振るうのは荒なのにどこか得意げに「助けましょうか?」と簡単に手を差し伸べてしまうのが印象に残っていた。

姉(西分綾香)が差し出した手にはもちろん一緒に戦おう、と対等な立場に元や白を掬い上げてあげる意思も感じられたけど…どうしても手を差し伸べるという構図は強者が弱者に力を貸すような、驕りにも近い行為にわたしには見えていて。

白が現れたことによって次第に影響され、世の理はいつも一つの義によって成り立っているわけではないという現実と直面し

自身の弱さを自覚しては口をイッてしたり髪をクシャクシャと掻きむしったり耳をギュッてしてむりやり元気を出す仕草だとか

荒を助けたい、護りたいと勇気を振り絞って剣を向けるところとか…全部が人間臭くてきちんと「屈託」しているところ。

わたしはそこがとても好きだ。彼の根底にあるものは絶対的な人間愛だと思えるから。

 

神様なんかじゃないただの人間。

 

荒だってそうだ。心を巣食う闇を付け狙った靄によって神がかり的な力を得ても心まで失ったわけではない。

もしも、心まで奪い去ってくれていたら彼はどうなっていたのだろう。でもきっと靄は心無き人に棲みついて操ることはできないんだろうな、とも思う。

半分だけ神様に近づいたあまりにも悲しい笑顔を浮かべたまま「お前だけは守っていってやるから、こっちにおいで」と手を差しのべる荒。

その手を拒む元。台本いわく「きっと一緒にいけば(自分は)楽なんだ。何も考えなくていい。でも違う。そうなったら荒が一生苦しむ。」

この逡巡にこめられた想いを知ったらそりゃもう。。。涙なくして見れません。

あんだけバッサバッサチャンバラ放題やらかした人神と紙一重の距離。

今その手掴めば自分だけは助かるってわかりきってるのに。

荒を救ってあげられる保証なんてないのに、命と目の前の人を天秤にかけてなお助けたいと自らを奮い立たせるのです。

twitter.com

信じられ西分さん。仰るとおりでした。

元を、そして田中亨くんを応援しない人はこの世に存在しないです。そう信じます。

 

最後だって闇に飲み込まれそうで藁をもすがる思いで助けを求める荒に、元は一瞬迷ったが「手を貸さない」。

目の前の人を救える力が自分にないことは誰よりもわかっている。

ただ荒の背負う闇を一緒に背負ってあげること。同じ人として同じ目線に立つことが精一杯だ。

荒の隣に並んだ元は全身が震えていた。得体の知れない靄に自分も飲み込まれてしまうかもしれない。敬愛し、信頼し、畏怖すらも抱いた存在に今度こそは斬られてしまうかもしれない。

恐れを顧みず立ち向かう勇気を教えてくれた白が側にいてくれたからこそ二人でならば戦えると信じることが出来たのかもしれない。

元にとっての白は対等に接してくれる存在でありながらも、元と対照的な部分を映す合わせ鏡のように見えた。

半紙に描かれた墨がそうあるように一度黒く塗りつぶされてしまった白を元に戻すのは難しい。

それでも窮地に立たされた白が、自分の描いた彼らならかつての彼を救ってくれるかもしれないとありったけの力で絵を具現化させるシーンは歓声をあげそうなくらいはちゃめちゃにかっこよかったです!!

音楽も照明も須らく仕事をしすぎてる圧倒的二次元感!!もしくはニチアサ!みんなが目の前で生きてる!わー!胸熱スーパーヒーロー大戦だ!

エンディングダンスもそうなんですけど4人の主人公たちそれぞれの戦い方にも人となりや個性が光っていてセリフがないのに効果音や音楽、殺陣付けひとつでキャラクター性ってこんなに伝わるものなんだ…って感覚が新鮮でした。

細い体に大きな旗と鎧を纏い、心の美しさが佇まいからわかる姉。

パンチの効いたコミカルなキャラで誰よりも熱い心を持っていそうな紅。

さりげない優しさと瞳のさみしさが哀愁漂う盲人。

用心深く状況を見守る表助。

直前に戰御史を観ていたのでまさかろうそく男の赤星マサノリさんが出てくるとは思わなかった!ろうそくさん、完全に元そっちのけで高揚感MAXでヒャッハー!していていや目的目的!ってなる。殺陣めちゃくちゃかっこいいのにかわいかったです。なにあの生き物。

私を含め神楽シリーズを観ていない人にもその人の背負った物語が伝わってくる構成になっていたのがありがたかったです、自然に「この人の物語も知りたい」と思わせてくれる。

荒が救いきれなかった人たちの回想がリフレインすることによって、兄妹、義賊、盲目の少女、兵士や咎人たち…ああきっとこの人たちを荒は記憶の彼らと重ねていたんだなって漠然とわかりました。

ノンバーバルという特長を最大に生かした演出で特に印象的だったのは人が世界に絶望した瞬間の”叫び”です。

裏切られた兄妹の、義賊の、盲少女の、荒の…そして元の慟哭。

言葉ではないからこそ魂が剥き出したままこちらに飛び込んでくるような、それこそ獣じみた感情がダイレクトに脳に突き刺さるので怖かった。

田中亨くんにとってもこんなに感情的な役は今までなかったんじゃないかなって新しい一面を見れたので、それが荒人神という作品で良かったなとも思います。

 

なんかここからただのオタクの妄言の類でほとんど感想じゃないんですけど…

荒人神を全部で4公演観て、台本とかストーリーが頭に入ってくるにしたがってだんだんその人の心情とかもわかってくるので

最後のほうはもう毎回荒に対する感情移入が制御不能になっちゃってヤバかったです。今でも泣ける。

だってもう、私はどうしたって田中くんのオタクとして観に来てるわけだから荒にとっての光に見えてる元が私にとっての田中くんそのものにしか見えないだもん。しんどい。

深夜に荒人神の台本を読んで竹村さんの人柄が乗り移っている文章に共感通り越して本気でオイオイ枕を濡らしました。

正しいことが間違えにされたり。間違っていることが正当化されたり。わかっているけど許せない。

エモすぎ。そう。そうなんだよ。本当の正義なんてこの世にあるかどうか知らないけどさ、少なくとも私が信じたものが蔑ろにされたり評価されなかったりした時、信じた分だけ憤りになるよ。悪いかよ。

でも最終的に心の闇も自分の一部であると肯定してあげる一文の優しさにはちょっと早急にこの台本を道徳の教科書とかに載せなければならない使命感すら感じましたね。

エンディングダンスもほんとあの、多幸感と可愛いが極まれ過ぎて壱劇屋さんを拝み倒すほかありません。

0番で踊る田中くん完全に舞い降りてました。今世紀で一番地上に舞い降りていた。

ありがとうございますホントに。神社とかいつ建設予定ですか?一刻も早くお賽銭投げ散らかしたい気持ちを物販でぶちまけて帰りました。手ぬぐい何枚買うねん。

ご本尊(竹村さん)に元という名前の由来はなにかあるんですか?ということも聞いたところ

「もうみてもらったとおり元気で…観ている人も周りの人も元気にしてくれるような役かなって」みたいなことを仰っていて

ご本人が一番の正解だなって思うんですけども、もし勝手に私が考えてもいいなら

田中くんが外部や本公演の経験を吸収するのびしろと速度ってほんとにはんぱないんですよ!!

ハブレンを観た2017年4月の時点で2年後くらいには成長してしまって親春は出来なさそうだねと言っていたのに、たったの8ヶ月でもうきっと再演しても同じ親春は見れないんだろうなと思わされてる。

だからこそ五彩の神楽のような試みは暫くないにしろ、今後壱劇屋さんに亨くんがお呼ばれするとしてもきっとそのときの亨くんにはもう荒人神と全く同じ役は出来ないかもしれないので原点の「元」となる役になったらいいなって。

お知り合いの方が「田中くんと畠山さんに関しては最後のゲストでめちゃくちゃプレッシャーだろうけどあまり背負いすぎないことを逆に竹村さんは求めてたのかも」的なことを呟いていらしてまさにそうだなって。

そういう今の彼にしか出来ない、元々の彼を生かす役を与えられてる役者さんだからこそわたしは応援してて楽しいし成長を見守ってるつもりです。

あとはなんだろうなぁ、「現人神」の現がゲンともアラとも読めるのが面白いなって思ったり

白と荒が白黒の衣装なのに対して元はちゃんと素材感のある、色付きの衣装なので原色の「ゲン」だったりするのかなーとか、元っていう貴重な役には色んな意味があるなあって考えてるだけで込み上げてきた。

田中くん自身が今回の客演を通して自信がついたとブログで言っていたのでああ観劇納めにふさわしい素敵な作品に私も出会えて良かったなって心から思います。

役者さんにとって求められてる結果、というものが観客の相対的な評価なのか偉い人が今後お仕事をくれるかどうかなのかどっちもなのかとか、そういうのはよくわからないんですが一観客の私自身は板の上から伝えてくれたこと、田中亨くんのあるべき姿が伝わっていたので十分に満足です。はなまる。本当に充実した観劇納めでした。

自分は世界にとってまだまだ非力だけど、無力じゃない。

そのメッセージを竹村さんが演劇という形で証明してくださったのと同じように、筆力に限界はあってもわたしなりになにかを書き記して恩返しがしたいと今必死に文章を考えあぐねているし

舞台上から伝えてもらったパワーをいずれ実社会に還元していきたいなあ…と願わずにはおれんのです。自己満じゃなくて結果をきちんと残せるように。

 

年内に書き終わるつもりが年明けてしまいましたが五彩の神楽最終章、長旅本当にお疲れ様でした〜!

ほかの神楽シリーズの感想もぼちぼち上げていこうと思います!

壱劇屋さんは独鬼も東京公演があるので楽しみだー!!絶対に観に行きます!!