33番書き取り帳が出ていません

会いたい気持ちが世界の中心

【舞台】ツツシニウム#4「ノコッタカンカク」

f:id:landoll225:20180222001146j:image

「そのまま、どうかそのままで、決して外に出さないでください」

ノコッタカンカク | 演劇・ミュージカル等のクチコミ&チケット予約★CoRich舞台芸術!

 

福地慎太郎さん演出のセカスリ・メトロムを円盤で鑑賞したのちに初ツツシニウム観劇。

フライヤーの謳い文句には「エモの可視化」なる触れ込みがデデンと掲げられていて

お、おぅ!(^_^;)っていう気持ちの着地点が迷子だったのでどんなもんかな〜って思っていたら、意外と抽象的ではないお話でした。

奇をてらいすぎてない、かといって単純なわけでもなくほどよく消化しきれないわだかまりも胸に残るような。好きな感触。

 

ドイツのアンスバッハで稽古に勤しむちぐはぐな劇団員たちと劇中劇であるマクベス、そしてある人物の残留思念によって引き起こされた記憶の3つが並行して連なっていく物語。

ノルトラインヴェストファーレンデュッセルドルフ(ドイツでいう日本人街な地域です)に短期間住んでたことがあったので、作中に出てくる地名人名がフィクションにしては細かいなと思ってたところ

それもそのはずで題材となったカスパー・ハウザーは実在した人物でした。

超魔界帝国の逆襲 : カスパー・ハウザー〜19世紀のドイツに現れた謎の少年〜

福地さんに聞いたところによるとちょうど"閉鎖的な人間"について調べてるときにかの人物に行き着き、言語による表現をうまく使えない・普通とは違う感覚を持った人物像をわかりやすく描きたかった。とのことでした。

それを演劇に出来るの凄いっすね、とかめちゃくちゃふつうのことを言ってしまった。根がアホである。

 

映像を使った演出に関してはなんか私が勝手にクラブのVJとかプロジェクションマッピング的なね、アーティスティック性をイメージしちゃっていたのもあって

降りしきる雪や満点の星空が役者ごと覆うようにぶわーーと写し出されるのは照明やセットでは表しきれない、トリップする壮大な感覚におぉ!ってなったのですが

カスパーが閉じ込められていた城壁やバイエルンの風景は…べつに嫌味とかじゃなく単純にうーん、、スクリーンセーバー…?感が否めなかった…(笑)

役者さんの技量ありきで状況描写は把握できる脚本だったからあるのとないのでいったらなくても良かったかな。私的には。エモを可視化ならず。

 

 

なんかなあ。うん。

「私とあなたの感覚は違うんです」とかね。

そんな詭弁は、対人関係においてなんの大義名分にも免罪符にもならないんだよなあ。で?っていう話。

感覚が違うからあなたには理解出来ない・私には理解する必要がない…生きていく上でそんな予防線は通用しないし誰かに攻撃されないための保証になんてなりようがない。

世界との摩擦に苦しみながらも愚直なまでに理解されない痛みと真摯に向き合っているカスパー・ハウザーの姿に、そんな不条理をひしひしと痛感してしまった。

カスパーが覚えたての言葉で拙いながらになにかを伝えようとするたび幼い日のつらい気持ちを重ねてしまってどうにもこうにも目頭が熱くなった。

私は幼い頃から感情的で、英語教育を受ける環境にいたことすらも不利に働いてしまったのかどうかはわからないけれど、とかく理路整然と意思を伝えることが不得手な子供だった。

口が達者な同級生から「耳と口あるの?」とからかわれた出来事がショックでたまらなくて、不器用なりに人に嫌われないための関わり方と向き合うようになった。幼いながらに人としての尊厳を奪われ存在否定された気持ちになった私は意識的に本もたくさん読むようにした。

べつに初対面が得意なわけではないけど人見知りだと思われない程度の処世術はあるつもりだし接客業も苦ではないレベルにはましになった。と信じたい。

言語によるコミュニケーションスキルはわたしにとっての強力な武器になった。頭がからっぽでも人を人たらしめてくれるから超便利。使わない手がない。それでも、凶器であることもわかっているから警戒心はどこかにずっと残ってるんだと思う。

 

後見人となったヒッケルはお前が私を嫌いでも…とかなぜこのヒッケルを拒絶する?って言うけどもだよお前さん。

「私に近づかないでください。拒絶してるのはあなただ」と懇願するカスパーはヒッケルのことを「嫌い」とは一度も言っていなかったよ。のぉヒッケルさんや。

星璃さん演じるヒッケルと図師さん演じるカスパーの、2人のやりとりは見ていてどうしようもなく胸が痛かったです。

私に近づかないで、はヒッケルの感覚では拒絶・嫌悪の意思表示ととれるのかもしれないけどカスパーからすれば甚だ正当防衛で、言葉を誠実に使おうとする彼を拒絶してるのは圧倒的に世界の方だよな、と思った。

フリークス的に天使だの悪魔の隠し子だのと持て囃し忌み嫌った世間の誰もが彼のことをもうすっかり亡き者として忘れ去ってしまっている。社会的な死。

何も持たなかった彼にたくさんのものを理不尽に与えては奪ってを繰り返した他人という存在に対してどう折り合いをつけていいか混乱してしまっている極限状態のカスパー。

無知なためにシェイクスピアマクベスそのものは概要を知らなくて、観劇中あんまり理解できてなかったので引用された部分をウィキったら

男が演じていたマクベスに重なる、失うことはないと過信していた予言(言霊)にことごとく裏切られてあーー詰んだーーってなってるカスパーの精神状態が把握できてなるほど〜ってなった。

 

「言葉は自分の気持ちを表現出来るようになるのよ」という博士の言葉を疑わずに信じていたカスパーの「つらい時には空を見上げて」というセリフ。

星空そのものの美しさは誰にとってもある程度普遍的だからそれ自体はあまり重要ではなくて

人には理解されにくい感覚を持った彼がはじめて美しいという共感覚を得られた経験。

気の遠くなるような長い時間を経ても変わらずそこにある星空のように、大切な人と共有したそれを忘れまいとしていたのかな、とも思う。

 

結局のところ大切なのは博士の言っていた「想像する」ってことなんだと思う。

人の気持ちを考えましょう!ってやつ。学級会か?って話。ほんとにな。それはそう。

でも想像力があれば、人と全く同じ感覚は共有出来なくてもたとえばキムチの気持ちに共感出来たり。空気を読むってことがまあわかんなくてもなんとなく出来たりするような気がしてくるじゃん。そういうこった。

 

 

理不尽に翻弄されながらも正直に、言葉と懸命に戦って生きていた図師さんのカスパー・ハウザー。彼を支えた皆さん。お疲れ様でした。

アンスバッハの街にノコッタカンカクを共有出来たかはわからないけど、なんとなく生きにくい時代に彼という存在に出会えてよかったなと思います。