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会いたい気持ちが世界の中心

【舞台】あの子の宿題

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僕と、あの子の人生は、もう交わらない。

教室の中心には、いつも「あの子」がいた。
転校してきてから、ずっと。
風のように、光のように、あの子はここにいた。

そして突然、消えた。

それから十五年。
同窓会で明らかになる、あの子の本当。
上書きされる記憶。
あの子は胸の中で、さみしそうに笑う。

三十歳になっても、いまだ解けない、あの子の宿題。

https://stage.corich.jp/stage/86789

 

私から見えたあの子は、良くも悪くもあらゆる「羨望」をぶつけられている存在だった。

それは私自身が中学生の時にモヤモヤと抱えていた、誰でもいいから誰かを羨みたい気持ち。うまくいかないなっていう鬱屈やなんとなく張り合いのない生産性のなさを何かになすりつけて楽になりたかった。
極論、そういうのが日常化するといじめに繋がるのかもしれないって考えたら私はもしかしたらいじめっ子だったのかなあ。

誰かを傷つけることに対する快感は毛頭なくて自制心はあったはずなんだよな。楽しいことしか覚えてないからわからないな。残酷だね。

 

とりあえず「あの子」は本心や憧れやコンプレックスを押し付けたその人の思想そのものだ。特に理由はないけどこいつが居なければいいのにな〜、みたいな。抑圧された、表面化されないドロドロとしたなにか。
片岡の気持ちを全部見透かしたうえであの子と仲良くしている倉木さんも、優等生の仮面を被ったままやることやってる佐藤さんも良くも悪くも女子だなって思う。忍耐強くて、歪んでいる。
あの子は、純粋に「誰かに必要とされたい」とだけ渇望していたから理不尽な羨望を拒まずに全部受け入れて壊れちゃったんだろうな。
細川くんの言う「可哀想?俺とあの子どっちが?」という台詞が魚の骨みたいに気持ち悪く引っかかってずっと取れない。
押し付けた側が悪なのか、受け入れる側が悪なのか。
あの子が具体的にどうなったのかは物語の中で語られないけどたぶん壊れたままどこかで生きてるんだと思う。

 

わたしには珍しく、誰に共感するとかもなくずっと物語を俯瞰しながら観ていた。

「理由なんてある?」というあの子のやっと垣間見えた本心と溢れ出た涙で急に大きく心が揺らいだ。
誰かを羨む理由も誰かに必要とされたいと望む理由も明確にはきっと無くて、すべては思春期という渦の中で勝手に産まれて勝手に死んでくだけの感情なんだろうなあと考えさせられた。
誰もが忘れかけていたパンドラの匣をそっと開かせるような舞台が「あの子の宿題」なのかも。

 

私はブログのタイトルにする程度には教師が嫌いだったし、そもそも信用をしていなかったから教師も私のことが嫌いだったと自認してるんだけど
安藤先生が15年以上経ってもなお教師という立場の呪縛に囚われてて保護者から縋るようにあの子を探してくださいと迫られているから
あの人たちには3年間だけではなく生徒のその後の人生をずっと背負わされなきゃいけない苦しみがあるんだな、ということに気付かされた。この歳で。ダサいかよ。
先生を演じた小沢さんにそんな感想を述べてみたところ、「いろんな先生が居ますからね。でも、僕らのお芝居を通してそう思っていただけたのが何よりも嬉しいです」と固く強く握手をしてくれた。


あの子の宿題は中学時代の話だけれど役者陣の平均年齢が高く、それが逆にお芝居としての説得力を裏付けしている舞台だった。
そんな中で主人公君島くんの理想の姿である、チャラくて金髪でイケイケな男子タケルを演じたのがカンパニー最年少の星璃さん。
彼は君島くんの脳内でバトロワ的なアクションをしたりあの子と自転車でニッケ(2ケツのことこう呼ぶ世代の人います〜?)したりととにかくハジけた空想上のキャラクターでありながらも

君島くんのイマジナリー・フレンドとしても描かれる、どっちつかずなバランスがとても難しいポジションを器用に演じているなと感じてました。

 

最後の最後に取り残された「あの子」の存在を救うのは本来はどこにも居ないはずのタケルという男の子。

あの子も、もうどこにも居ないからこそあのラストなのかもしれないと少し考えた。でもそうなるとお母さんのことがつらくて仕方なくなった。
たとえ君島くんが作り上げた空想の世界だったとしてもお母さんがあの子の存在を抱きしめたかったことだけは確かなことなんだと、

お母さんが果たして本当に良い人間だったかどうかは描かれないから定かではないけれどそうあってほしいと祈る。