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会いたい気持ちが世界の中心

劇団壱劇屋「二ツ巴」上映会と「独鬼」東京公演

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この世の万物には神が宿り
人々はその恩恵を授かり生きている

水の神に見放された都
父はただひたすら水の神に挑み、都を護ってきた
私はそれを誇り、唯々力になりたかった

水流の途絶えた橋が架かる村
父はただひたすら水の神に挑み、畑を作ってきた
私はそれを誇り、唯々助けになりたかった

渦巻く想いは巴となって
二人の少女は相見える

神をその身に宿して

壱劇屋 official site

 

トモヱが悲しみを露わにして泣き喚く「権力者の娘として」父の死を偲ぶ姿と、ともえが1度目は呆然と佇み2度目はただその場を静かに立ち去る「農民の娘として」背中で父の死を悼む姿の対比が美しかった。

交わることはない似て非なる二つの巴。

 

壱劇屋さんの殺陣や演出は毎回いろんな見せ方を見せてくれるので多彩というかアイデアの玉手箱や〜ってな感じで、毎回新鮮な気持ちですごくワクワクします。

遠隔射撃する大弓矢だったり要となる「川」の水流を布のはためきで見せたり。

全体通していつにも増してバトル!美少女!水神様!みたいな二次元感の強いお話だったですし、CGっぽさを人力で表現するのってともすればチープになりかねないですけどこれは演劇でしか表現できない面白さだなって。

 

NMB48久代梨奈さん。憫笑姫で見た妹とは一転して、悲しみにくれる間も無く遺された父の形見を手にし覚悟を決めた表情になる逞しさ・見知らぬ男の仕草から亡き父の面影を思い出して、愛おしげに瞳が潤んでしまう少女の等身大な脆さの切り替えに何度も胸を打たれました。

殺陣だけじゃなくアクロバットも出来る身体能力の高さにも驚き。献身的な女の子が、躊躇なく剣を振るう凛とした強さを手に入れる姿はさながらジャンヌダルクのようだなあと観ていて思いました。

ごくごく個人的に、ともえのような高い身体能力・表情や立ち姿による表現力を求められる役をモーニング娘。石田亜佑美ちゃんで観てみたいなぁと不意に思ってしまって…フォーメーションダンスで鍛えてる正確性は一糸乱れぬ壱劇屋さんの殺陣とも相性が合いそうなんだよなぁ。

(48グループとハロプロを無闇矢鱈に比べるつもりではないのですがハロプロ演劇女子部で年1ペース舞台活動はあるといいつつも、グループに所属しながらこういった外部劇団さんの客演で経験値を積めるといった環境は単純に羨ましいです。)

 

同じくNMB48谷川愛梨さん。

おなじみの正面で走るマイム(足踏みのようなスローモーションだけど走って見える)で、いかにも戦い慣れてない「貴族の女の子」の走り方にしっかり見えたのと、ステージでのパフォーマンス力についてはあまり詳しく存じ上げませんが足腰の使い方からなんとなくダンスが上手そうな印象を受けました。

肉親を失う辛さはどんな立場であっても等しく惜しまれるべきだけれど、淘汰される命と尊ばれる命の埋められない差がある外の世界を知らず、戦う父の背中にあこがれる正義感のみがギラギラと先走る少女。

トモヱが優しい主になれる器かどうかはわかりません。天が地を治める彼女に味方をするかどうかも。でも揺るぎないともえの信念と相反するように揺れながら、迷いながら強さと守るべきものを模索していく姿は父親に重なる部分があるのかなって気がします。

 

水神、赤星マサノリさん。赤星さんが出てきただけで圧倒的な美に息を呑むし、特に意味深なことをしてるわけでもなくただ居るってだけなのにヒィァ〜…ってため息が出る。存在が妖艶な役者さんです。

ともえに憑依して戦いたくなっちゃった水神さんいっちょかましたろ!ってないたずらっ子にも見えたけどハチャメチャ強いし生き生きしつつも重力を無視した人外の動きをするしなんじゃありゃ。てか赤星さん憑依ばっかしてるやんね。(A:戰御史)

最後父が娘たちに刃を向ける展開、台本がないのでちょっとンン?ってなったんですけどあれは操られてるってこと?で良きですかね?

水神さんにとっては特別誰かの味方という意識はなく俗世で起こる全てが箱庭遊戯で、それを眺めながら気まぐれに雨を降らせて面白いものが見れたらいい…って感じなんでしょうか。ね。

 

久沓は座長こと大熊龍太郎さん。ヌルヌル動くよ〜。主の側近として儀式を先導したり中盤からは王位を奪おうと画策してたり。厄介おじさんだぜ。

京都でノンバーバルパフォーマンス「GEAR-ギア-」を見たばかりだったのでどこ行ったんや関節は?って言いたくなるやばい身体能力は既知だったですが、それもすごいけど三文芝居で王政を操ろうとするときの顔がむかつくわ〜〜。動きと顔がまさにアニメキャラクターで終始ちょっとフフッて笑ってしまった。

悪役といえども根本的には水に恵まれなきゃどうにもならない衰廃した村で二進も三進もいかないような政治をしてる主にお前がやらなきゃ俺がやる、ぐらいの気概を持ってる参謀くぐつん好きです。人物としては。

 

主、岡村圭輔さん。凛々しい。顔が良い。

民を犠牲にすることでしか国を治められない無力さに心を痛めつづけてた主の胸中は序盤から伝わってきました。きっと本当はこんなことしたくないけど水神に頼るしか方法がないんだな、この人はたんなる無慈悲で尊大な王ではないんだなって。尊厳と迷いが入り混じる表情が好きでした。

 

貧しい農夫の父を演じる竹村晋太朗さん。たけむさんの優しい役は…ずるい…あんな菩薩のような笑顔なんだもの。

作物が採れては祈り。川に水が流れては祈り。死して尚、黄泉の河で水神に感謝を捧げる。祈りは状況を変えるためではなくて明日を生きる人の心を潤す希望なのだと感じます。

 

漫画や小説の受け売りで昔から水は母親の愛みたいな考え方が好きで。母なる海とか。子宮のほとんどは羊水ですし。

二ツ巴は父娘の物語だけど母親は出てこないんだなあ〜って、女性が主人公であることの意味を深く考えた。これといった答えは未だ行き着いてないんですけど、水によって命が生かされる・作物が生まれ育つっていう神秘性はあるのかな。

あと橋も好きですね。橋ってなんか仏教であの世とこの世の境界線じゃないですか。水神さんがあそこにいることでそれが可視化されてるのがなんか好きな世界観だ〜〜って思いました。

 

 

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死なない鬼はずっと独りで生きていた。
何千年、何万年、途方もなく続く年月。

普通に生きることに憧れる鬼は、ある女の一生を隣で過ごすことになる。
途方もなく続くうちのたったの五十年。
五十年が終わるとき、鬼は何を想うのか。

そんな死なない鬼の終わらない一生のお話。 

壱劇屋 official site

 

やっぱり竹村さんの作る話が大好き〜。不老不死ってどうしても孤独や寂寞が大きく描かれがちだけど

あくまで"鬼"という視点から見た50年の中で芽生えては消えてを繰り返した心象風景とか、瞬間瞬間で不死が命に何を望み何を与えるのか?ということを丁寧に描いていて

ただ寂しさや別れの痛みばかりじゃなくて移ろいゆく季節、未知を知っていく喜びとかおにぎりを一緒に食べるぬくもりとか。当たり前の幸せが死なない鬼に無条件で与えられてることにずっと涙が止まらなかった。 うーん…確実に今年で一番頭がカチ割れそうなくらい一度に泣いた舞台だったのに言語化がむずかしいですね。感覚に由るところが大きすぎる。じゃあなんでブログ書いてんだ。

 

冒頭シーンでまだ何もわからない状態なのに音楽のせいなのか照明のせいなのかラストシーンを今見せられてるってことだけなんとなくわかる、なんだかわからないけどそこにいる鬼と老婆の表情だけでそれまでとこれからが勝手に頭に広がってしまう感覚。

客席みんなで共有した心の瞳で君を見つめれば愛することそれがどんなことだかわかりかけてきたあの空気マジで爆エモかった。知らんけどみんな泣いてた。気がする。たぶん。

全体的に常軌を逸した殺陣のスピード感と、そうでないシーンで鬼と人間が対峙する「間」の長さの緩急が印象に残りました。嘶くように過ぎる時間とゆっくり流れる時間。

舞台の上で長い「間」を恐れない役者さんはホンモノだなって私は思っている節があって、鬼は表情も少なくセリフもない役なのにじっと体育座りをしているだけで鬼として存在してる。竹村さんと西分さんの最小限のお芝居がすごく観ていて引き込まれました。

 

火縄銃男が戦う時に俵袋的なやつ駆使してフォーメーションが壁になったり山になったりする殺陣すごない!?(説明バリ下手!)あとめっちゃ早い。秒刻みで銃弾飛んでくる。目まぐるしすぎてちょっとでも乱れたら崩れて怪我しそうな手数で、あれが出来るのは劇団ならではの呼吸と信頼関係よなと。独鬼関連のプロモで殺陣練習風景いっぱい回ってきた意味が本編観て分かる。片目指でカッ!て開いてターゲットlock-onする火縄銃男やたらかっこよかったよね。撃たれたいね。

 

春夏と死なない鬼になすすべなく破れてきた男秋が殺さずとも動きを封じるために蜘蛛の巣っぽい結界を張り巡らせたのめっちゃ二次元的な良さがあった。30年近く考えた末に編み出したんやね…みたいな気持ち。

竹村さんが「独鬼は僕の人生観がつまってます、人生は歩くことと食べることだと思っています」的なことを言ってたのがすごく好きで。

独占欲から女が歩くための足を壊してしまう男が切なかった。それでも女を手に入れられなかったし鬼は女を背負ってでも一緒に歩くことと食べることをやめない。当て馬すぎる…

鬼から見て 娘→恋人→伴侶→母親みたいに変わっていくのと同調して

女から見た鬼も 父親→恋人→伴侶→息子みたいにだんだん見えてくるし

女の一生と大木の四季がリンクしてることに気づいてから、女冬が命絶えたとき鬼が初めて「死」に触れるとこしんどい。理解が出来なくて寝そべってみたりするのとか。子供みたいに。

ラストで世界に人が居なくなり使命すら尽きた鬼が大木に彫られた女を見て初めて心から作り笑顔じゃない笑みを浮かべるのずるい〜。竹村さんの笑顔は最高だ。

 

びっくりするほどゆとり世代なので基本的にどうでもいいよ〜興味な〜い…がすぐ口から出てくるクソ具合で生きてるわたしですが、こと演劇とか人間観察においては別なようで

竹村さんの作品を観るとき主人公たちが何のためにどういうときに誰かを「守りたい」と思うのか。言葉で説明がなされないぶんその理由にめちゃくちゃ想いを馳せるんですね。

大義のためなのか、執着心なのか、愛しているからなのか。憎悪からくる復讐か、信頼なのか。動機はそれぞれあってもだいたい理解の範疇にある人間の感情で。

ただ死なないというだけで異形でもないしあんなに優しい鬼は人間と何が違うんだろう?どうして忌み嫌われなきゃいけないんだろう?っていう憤りもたしかにあるんですけど、でもそれ以上に鬼がただ「女が泣いてしまう顔を見たくない・喜ぶ顔が見たい」というシンプルな動機だけで

世界が終わるまで誰かを守り戦い続けられる狂気は、わかったふりは出来るけど私にはないものだから少し怖くはある。「わからないもの」に対する恐怖と好奇心こそが人間らしい感情でもあるのかな、って思った。大切にしよう。