
情報解禁編
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SPECTER編
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COCOON布教編(ネタバレ回避用)
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没後n周忌を迎えた繭月に供養をしようかなと思うので、推しがTRUMPシリーズ最新作に出ると決まったオタクの手記です。ほとんどTwitterとふせったーに殴り書きしていた内容をここに打ち出すような形ですがとりあえず稽古が大詰めになるにつれオエェェ~~~~ゲロゲロゲロって情緒が常にめちゃくちゃ息してましたね。人気作品の完全新作ってね、すごい。
ここから先は秩序も取り留めもあったもんではない散文です。
「推しがこれからTRUMPシリーズの新作に出る場合」の参考になるかどうかはわかりませんが、あたしが経験したパターンは
情報解禁から千秋楽に至るまであらゆる公式が・役名・キャスティングの秘匿を厳守、出演役者陣SNSや広告媒体での取り扱いもかたくなに最低限に収めているその後類を見ない凶悪なケースでしたので
同じ泥水を啜ったオタクくんと、泥水を野次馬根性で眺めていたオタクくんと、ここまでずっと何のこっちゃわからんTRUMPシリーズ赤ちゃんの皆さん 色々なオタクくんがお線香焚きながら読んでくれたら嬉しいなという想いです。南無三。
■ド鬱を極めとる。コクーン嫌ダァ〜〜〜〜〜〜〜ァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ァ〜〜〜〜〜〜〜ァ〜〜〜〜〜〜〜ァ〜〜〜〜〜〜〜ァア〜ァ〜〜〜〜〜〜 ァ〜〜〜〜〜〜〜ァ〜〜〜〜〜〜〜…うそでしょほんまに。コクーンたのむから夢であってほしい。絶対ドッキリ。なぁ!?
私が気を狂わせている間にナベプロがセカンド鈍器を作っていた。なんなのだ?ほんで令和初の珍TRUMP公式グッズ、棺。トンチキグッズで元号を跨ぐな。気ぶりオタクより遥かに公式が気ぶりで草
■(ブロマガかニコ生かどっちかを見た日)
末満さんがCOCOONのキャスティングを繭期の中でひとつの盤石の布陣、作り手として集客に縛られていない理想形ととらえてるなら、特別枠で1人だけ現状の実力を不安視されてる推しが結果を残さないと完成形には至らないワケよ。
クソおもしれーじゃん。田中亨に全ベット賭ける覚悟なのよこっちも。作品のファンに、自分も作品のファンだからこそ推しが何を誰に言われたとしても引かない。戦よこれは。
■推しの名前が都内の駅にいっぱい並ぶって考えただけでほんとにほんとにほんとにほんとに涙出るくらいしあわせ〜〜この人!!わたしの!!推し!!って2兆回は指差しちゃう。
◾️初日です。COCOON 月の翳りを知らない私と永訣の朝。
現場って始まるまでがド鬱でしょうがないけど、始まったらこの世にある娯楽のなかで観劇いちばん、楽し〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!
脳汁枯らしてシャブやな〜〜〜ってダバダバ泣いた。正直ビジュアルも名前も内緒なの役者のファンからしたら意味わからんし(素直)ずっとキレてたしあの独特な繭期メイクで見分けつかなかったらどうしよ返金してもらおって開演数分前までは居ても立っても居られないくらい暴れ狂って不安でメンタルイカれて震え止まらんくて、でも板の上にジュリオが出たときいや、この子じゃん!!!!て一発で分かったしそっから目が離せんかった。舐めんな
2人のラストのあのセリフが本当に「ヴァンプにとっての」思春期のひとつの解であると。夢から醒めた私たちもコクーンがなくても本来の彼らを見れて良かったなとも思うし。
「色彩は暗闇の中で見ることは出来ないから、色という概念は光源の下にある。」と学んだことがあります。ジュリオはきっと繭期を抜けてもうあのイレギュラーによる色彩世界を見ることはないのかもしれないけど、ジュリオのそばにいたエミールこそが希望の光で、私たちが見たエミールはまがい物の希望かもしれないけどウルではない本物の希望はずっと残り続けてほしい、と思う。
(加筆:のちにリリウム新訳少女純潔歌劇のパンフレットで大変な目に遭う)
◾️クランは繭期を守るために残り続けなければならない、的なセリフもクランという場所そのものが幼虫やさなぎのように繊細な繭期の少年たちを守る繭なんだなって思えたから、そこを越えていった子が別の世界でちょうちょを背中に乗せて生きてた…てゆうクラナッハとの関連性をそこに持ってきたのか〜〜みたいな。
登場シーンの第一声で涅槃像をやった瞬間の初日の精鋭たち(シリーズリアルガチ履修者)のどよめきと反響がすごくて!涅槃像=カトレア=退屈が単にリリウムの天丼じゃなくてジュリオ役がかかえるテーマへのジャブにもなってるのがすごいこうやって、シリーズの歴史を繋ぐ存在になったんだって思って。すごかった。
「絶望の地に咲いた一輪の花」ではなくて希望にあふれた世界を見る一人の男の子だったから、花園に舞う蝶としてクラナッハを演じていた田中亨くんが繭の中でジュリオを演じる必然性があったのだと思う。
◾️元々持っている少年性や浮世離れ感とかピュアさを活かす、田中亨という人の魅力ありきで役を充てがわれてた作品がずっと続いていたぶん、本人のイメージからかけ離れた挑戦的な役(
クラナッハ)はPatchのホームで鍛えられて乗り越えて。満を持して今回NU主催でここ一番のタイミングで与えられたのがジュリオ役って感じすごいする。まっすぐすぎるくらいまっすぐなお芝居だから自分と遠い役を自分に寄せる役作りが人一倍たいへんな役者さんなんじゃないかなって思うの。それも末満さんが演技力で選んだ諸先輩方キャストに囲まれてさ。
今まで観た役の中ではジュリオがどの役よりもキャラ立ちしてて、役の個性を武器に演じるって意味では難しかったのかもしれんと素人目にも思う。 感情の濁流みたいな「月の翳り」の中に放り込まれて活き活きと2次元的な要素や
コメディリリーフも勤め上げて、シリーズファンから受け入れられているジュリオが本当に素敵なの。
本人的にもああいう外連味のきいた役柄?というかポジションに憧れがあったのかな〜っていうのが叶ってシンプルに嬉しかった。
ジュリオ自身は見た目が中性的なだけで中身割とまともに高貴な上流階級で育った男の子なんだよね。安易に女性的だという方向に持っていかない絶妙なバランス感覚すごく好き。
ちなみに役作りという点で、円盤特典の映像だとジュリオ役のキャ
ラクターパターンが全然定まってない状態から試行錯誤するエポックメイキングの過程がしっかりあったよ。演技力おばけ集団に囲まれて末満さんにダメ出しされながら
サンシャイン劇場のロビーで1人ぽつんと復習してた亨くんが戦ったから、今こうしてジュリオが誰からも愛されているんだって思うと満たされた気持ちになる。頑張ったね。一番偉いんだから。
◾️ジュリオの"袖がなくなる"ことに客席が
アイロニーを噛み締めていたというか、エミールと違って姿形がまるっと変わる越繭ではなくて袖だけが無いってことにみんなため息を吐いたり喪失を抱いてたのを俯瞰で見てて
人が人を認識する要素への不思議な寛容さを覚えてたりしてた。衣装の妙だけじゃなくて、繭期がなくなったジュリオを内側から体現したとるのお芝居への賞賛も込めて、ね。
◾️自分が何者になればいいのかもうわからないって言う
ラファエロに進言でも強制でもなく「いつか手にすることが出来たらいいな、お前のなりたいお前にさ」ってただ祈りをかけてあげるジュリオが最適解なんだよね 他者にしか導けない最適解
◾️「感情が赤く染まるんだ」のそ⤴︎まるんだ、のイントネーションが最後までネブラ村関西地方出身だったジュリオLOVEすぎ
◾️キャスパレの
ラファエロとアン
ジェリコの間を引き裂いて出てくるディエゴにゃん優勝♪ジュリオにゃんは袖がひらひらしているので優勝♪(お尻を出した子一等賞♪)
◾️「ちょっと付き合ってよ」っていうやや強引な繭星ウルの誘い文句好き。エミールの「ジュリオもディエゴの"オトモダチ" でしょ?」とかもなんだけど秋人くんって少年の役が似合うし、ふいに役に沿った年相応の色気を出すのが上手な人
◾️"首席生徒"の兄さんがめんどくさいトラブルを見過ごさずソフィを助けたのって、仮に打算がないとしたらクランに入りたての自分を助けてくれたディエゴ、ジュリオ、エミールのことが一瞬でも過ったからなのかなって思って枕に顔埋めて呻いた
◾️ジュリオがディエゴ側に少しだけ傾いだのって生も死も同等に退屈なんだけど、コクーンによって「永遠の繭期」という生死以外の第三の選択肢が彼の中に生まれたとすればそれはあまりにも真新しく刺激的で甘美な誘惑だったんだと思うのね。そのパッケージ自体が思春期すぎるよ。何より彼にとって他でもないディエゴっていう特異な存在が誘うものだったから余計に。
でもちゃんと、そちら側には行けないって我に帰るのはもしかしたらジュリオもエミールもあと3ヶ月で大人になる=繭期の終わりがほぼ見えてるから繭期に屈服しないっていう強さがあったのかな〜とも。 あれだけ鮮烈に残ったディエゴっていう色が彼の人生に願わくば残り続けてほしいし、ジュリオが貴族社会においても繭期研究やコクーンの規制に関わる事象に強く携わってて欲しいなーーっていうifを考える。
(のちにリリウム新訳少女純潔歌劇のパンフレットで大変な目に遭う)※リプライズ
◾️ボクちゃんは生まれたときからこの世に飽きちゃってたってのを「クランに来てから」気づいたのは、ジュリオはもともと聡くて過剰な英才教育下で芸術センスだったり人を見る審美眼を持ってたりして
漫然とクラン入寮前からあった退屈の意味が、周りの濁色した感情を見てああこんだけ似たり寄ったりな曇天ならつまんないよなぁって絶望に変わってたりして。だからこそエミールやディエゴに出会ってお気に入りの景色を見つけた感覚だったのかな、とか考えた。
◾️月の翳りって、哲学的な意味でほんとに突き詰めて末満さんが「美しい」と思う情緒とか情景を見せたいっていうかんじ。
それが商業として正しいかはわからないけど、今までとは毛色の違うシリーズってのはめちゃくちゃわかる。でもせっかくこの月の翳りの世界に連れてってもらえるならただの「キャラ萌え舞台」に消費してしまうのはすごく嫌でとても勿体ないし遺憾だから思考を止めないでこの濃密な作品の深淵に触れる努力を重ねていけたらいいな〜って今はめちゃくちゃに感じております。
「何でもかんでも繭期のせいにすんじゃねえよ、これは俺の意思だ」ってキッパリ言い切るキャラクターが出てきたのオオ…情感…ってなった。手塩にかけて育てたあの世界ならではの価値観を内側からアンチテーゼする異端のディエゴ。
今までのシリーズを見ていても、あの世界線で生きていたらその曖昧な線引きに苦しめられる子どもたちばかりなんだろうな。ジュリオなんかは典型的な、他人と相容れない言行は全部繭期のせいだって考えてるタイプでたぶんそういう価値観を真に受けて育ってきたんだろうし
エミールの繭期は症状とかじゃなくただの人格(パーソナリティー)なのでは?みたいなことをもんやり劇中ずっと考えていたので。大人とか子供とか関係なく観客も含めてその人をバイアスかけて視ることの危うさが根底のテーマに根付いてる気がする、月の翳り。気づけることも気づけなくなるでしょって教えられてる感覚というか。
クランにいる限り人間の思春期みたいにあれしたいこれはやだっていう当たり前の主張とか自己表現が全部はいはい〜お薬足りてないね〜飲もね〜で片付けられるのハチャメチャストレスだろうからなんかそういう意味ではドナテルロのやってることもやり方に問題があるだけで破天荒だけど一理ある。
◾️陰翳が何をモチーフにしてるのがいろんな人がこれだと思ったって解釈を書いてるの興味深いんだけど私は繭期の幻覚が深海に沈んでるみたいだから岩場に付着してる磯貝とか巻貝のイメージかなぁ
◾️ラファエロさ、アンジェリコを別に蔑ろにしていたわけじゃなくてただ彼の世界が自己と他者(主に父親)で
アンジェリコにとっては君と僕だっただけであってその齟齬は何も悪いことじゃないからこそ余計に"最悪"よね 。
思春期にありがち、私もそういうときあったもん。自分にとっての依存対象が特別だって思い込んじゃうの。ラファエロにとっては息がつまるほど不自由な世界で手繰り寄せた蜘蛛の糸がディエゴで、自由なディエゴに憧れた。自己救済のためにディエゴになりたいと思った。
アンジェリコかウルか選べよってシーンで彼の葛藤にアンジェリコはよぎりもしない、もちろん友愛や幼少の砌がみじんもないとは言わないけど彼にとってウルを切り捨てることは自分自身の存在否定だから結局自分を選んだも同義にわたしには見えたから。
ラファエロがウルを選ぶのは私は割とフラットな目線で彼が自分自身の存在意義である「守護者」としての原初の人格を消去法で選んだのだと解釈してたけど
闇雲に探し求めていた「本当の自分=産まれたばかりのウルを守りたいと思った自分」に手が届いた瞬間にラファエロ個人としての生き方全てに蓋をして宿命の犠牲になることが兄・ラファエロの目覚めでもあり守護者ラファエロ誕生の瞬間を月の翳りはまざまざと見せつけられる物語なんだと気づいた… 荒木さんファンの方の「月は2人の友情の亀裂でもあり、2人の友情が存在したことの証明でもある」って考察にハッとさせられた、、ほんとにこの「矛盾」という要素がラファエロだけではなくてアンジェリコにもディエゴにもドナテルロにも通ずる部分があって人間みな平等に自分が何者かなんて確固たる意志を持ってなんかないんだなって思う。
なりたい自分になるということはある意味で本来の自分に嘘を重ねるということ、でもその輝きが紛い物ではなくて自分自身にいつかなるという経験や自信を積み重ねていくことでしか人は成長できないんだなって。
◾️ドナテルロの「月が血で翳ってやがる…」の意味理解できたんですけど片目を潰されたから血で瞼が染まって…そういう…ハェァ〜!!!!だからキャスパレで月バックにソロ踊るんやね…
英語の慣用句でcrying for the moonってやつ月が欲しくて泣く=「ないものねだり」の意味なんだよ。急に声域がテノールに変わるのもとんでもないね。アイロニーやね………………(絶句)
◾️繭月グスタフがクランのティーチャーとしてではなくて血盟議会や血盟警察なとに入っていたらドナぴはあんなに執着しなかったのではないかという仮説
ドナぴにとって価値があるグスタフは、ただのグスタフではなくてあのかけがえのない繭期を過ごした他のどこでもないクランにしか存在しないと思っている節があるからきっとティーチャーになったと聞きつけたドナぴはあらゆる手を使って自分もクランのティーチャーになったんだろうね
◾️ジュリオが本能と理性、狂気と友情、永遠と未来の間で板挟みになってることの視覚的な象徴がディエゴの持ってるコクーンとエミールの持ってる差し入れ籠の2つのアイテムであることがとても好き。
ディエゴにジュリオが必要だったのは、彼の目には自分の嘘で覆い隠されて見えなかった真っ赤に燃える本来の輝きの色がジュリオにはちゃんと見えていたってことを証明するためなんだと私は思うよ。背中の梅干しなんだよー(フルーツバスケット)(わかる人世代)
俺はもう直ぐ死ぬけど本当の俺がここにいたことを誰かに見ておいてほしかった、って言うじゃん。
ジュリオが「過ぎた繭期に置いておこう」といった友情がとどのつまりはディエゴなんだよ、でかい主語で言えばさ。ヘルクランでもしかしたらディエゴは死んでしまうかもしれないけれどそこにいたのを確かに証明してくれる友情は残り続けるんだよ。だから友情なんてなかったってそんな悲しいこと言わないでほしい。ディエゴという存在を自分自身で否定しないであげてほしい。 月のシルエットに照らされて笑うディエゴくん、満月の夜に吠えるオオカミみたいで悲しくて美しい。
ローザやウルみたいにダンピールは短命がゆえに原初信仰走りがち…てセオリーがあったけどディエゴは少し毛色が違くて、死への恐怖よりも刹那を求める気持ちが大部分を占めていた気がしてて。ジリジリと命を絶やすまいとする線香花火ではなくて打ち上げ花火のように、たとえ短くても自分という存在の生きた証を鮮烈に色濃く刻みたい。それがわたしはなんかダンピールの生き様的にすごく新鮮な感じがしたしクラナッハやアレンにも通じるなって思って、だから星に手を伸ばすんだなってなんとなく。
◾️お前は嘘をついている…のジョルモロアンジェリコの幻覚幻聴で錯乱して呻くとこで
たまたま最前で観てた日にディエゴの焦点定まってないバキバキにラリ散らかしたお顔を見てしまった回、誇張とか一切なく口がだらんとだらしなくあいて長尺で寄り目→白目でガチの廃人やって人生でも類を見ない目の前で人が狂うという疑似体験をしてしまいゾッ……て固まっちゃった。
◾️ディエゴにコクーンを誘われて躊躇うシーンのジュリオの位置が、擁護室で2人が喧嘩してじゃれあってた上手の階段なのにふと気づいた瞬間に爆泣きだよ… ボクちゃんはそっちには行けないってはっきり断られたディエゴが
腹いせみたいにジュリオを自分から遠ざけるの、よく考えたらあれは単純にムカついて蹴ったんじゃなくてディエゴの中に微かでも「こいつらを連れていけない」って友情が残っていたからジュリオとエミールを守るためだったのかな……と
ただ道連れが欲しかっただけなら、あの場でラファエロにしたみたいに無理強いして飲ませることだってきっと出来たもの。
自分のついてる嘘と罪がが何かどれかもうわけわからんくなってやけっぱちで
心のままに自分を解放してる瞬間が「生きてる」になるのほんまにつらいし、ジュリオとエミールが目に入った途端弱気になるのももうぜ~んぶつらい は~あ。
◾️「ディエゴの言ったとおりあの2人の間に友情なんて……」ってセリフ
混乱の中でディエゴを制止することも説得することも出来ずにただ傍観者として、闇から救いきれなかった友情の顛末をなすすべなく見送った自分に誰よりもジュリオ自身が苛まれていたからこその言葉なのかなって切なくなった。退屈に変わりはないけど…なんて言っていたディエゴとエミールの太刀合いをジュリオは決して目をそらすことなく食い入る様に見つめていたもの。
1回目に月を見上げる繭期のジュリオと2回目に夕暮れを見つめるジュリオは顔つきが全然違ってた。大切なものを失う悲しさと別れを知った目だった。悲しさを知った人はたぶんもう、二度と子供には戻れないんだと思う。元に戻せない時間を抱きながら大人になるのはドナテルロと同じであまりに酷だから過ぎ去った悪夢にせめて置いていこう、ってことなのかな。
明日はどんな1日が始まって死んでいくんだろう?って大好きな夕暮れを見つめるディエゴは、きっとあの日を最後にヘル・クランから二度と夕陽を見ることはないんだろうなって思ってる。ジュリオは夕暮れを見上げるたびに置いてったはずの友情の陰翳を見るんだ。
◾️混ざり児だよぉ!!!!のグニョグニョおてて好きなんですけど、一回だけリストカットのジェスチャーするクソメンヘラディエゴが癖(ヘキ)をブッ刺してきて困った
◾️安西さんもお前さえいなければ〜〜〜!!!!のご乱心ジェリコ様が床に頭打ちつけて自分で失神した直後白目むいて倒れてるの顔が美しいだけに地獄オブ地獄ってかんじでよかった。
どうでもいいけどディエゴがジョルジュの顔面を壁に打ち付けてスライドさせるやつヤンキー映画で人の心無いキャラの攻撃やんって毎回思う
◾️荒木ラファエロがディエゴに憧れる顔がほんとにただのヒーローごっこしようとする少年みたいに無垢だったから余計に、ジュリオとエミールがラファエロに心を開いて慈愛の言葉をかけてあげる優しさがグッと大人びて見えたんだよね 月の満ち欠けのように変わっていく月の翳りカンパニーがほんとにほんとにすきだ
◾️アンジェリコ様がどうして理解者を渇望していたのか、なぜラファエロに願望を押し付けるのかがうまく飲み込めなかったけど「彼の瞳にだけは本当の産まれたままの自分が映ってる」って台詞が急にスッと入ってきたときブチ泣いた。
鏡に映る自分の醜さを見るの、私は本当に怖いし臆病になるし鏡を見たって本当の姿は見えないし、他者から見たわたしだって本物かはわからない。他人と共生しなくちゃならない取り繕って生きなきゃいけない世界にはほんとうの自分なんてどこにもいない気がする。
一番冒頭の陰翳たちは2人一組のつがいが鏡合わせの動きをしてる。それと同じでディエゴもアンジェリコも、他者の瞳の中に映るアイデンティティーを渇望してた。それならわたしにもアンジェリコ様の寂しさを理解ができる。
お前さえいなければの矛先がディエゴかと思いきや脇目も振らずにウウウウウゥウルーーーなの今作最大のライネスはアンジェリコ様にとって自分を蔑む存在よりもラファエロを苦しめる存在を憎んだことなのかしらね。
普通にディエゴが一番周りを苦しめてるしエミールがウルの幻覚を見せてるからウル本人は何にも悪くないじゃん!て我々の視点からはそうなんだけど、アンジェリコ様の中ではどこまでも憎いのがウルなんだよね。ラファエロの人生そのものを檻のように支配するウルっていう存在。ウルが邪魔だったんだろ?のあたりはもうはちゃめちゃに性格が悪いジェリコ様なんだけどそれでも、この期に及んでラファエロのために本懐を遂げてやったったぞ感(君のためを思って殴ったんだァ!のリフレイン)がもう無理。
◾️ラファエロを理解しようとすればするほどアンジェリコ様に肩入れしてしまうのつらい。
昨日(5/21)の安西さん、今まで外れてた狂気性のリミッターバランスに無理がなくなったというかクズクズクズクズ!!のとこも嘲笑ではなかったしダンピールごときが僕たちを愚弄していたのか、ダンピールごときがラファエロを苦しめたのか!?のとこもいつものマックステンション金切り声ではなくて本当に恨めしくて信じがたく目の前のことが理解できない、みたいなトーンが挟み込まれてて荒木さんも荒木さんで笑いにつながるような言い回しにしてたラファエロの表現を削ってたりなんか2人の人間性の引き出しすげぇなぁ。
わたしは兄を持つ妹だからどうしてもラファエロの理解が想像の域を出なくてどちらかといえばデリコ兄弟に関してはウルの視点が強くなっちゃうんだけど
愛情を受けるコップがみんなにあるとしたらウルはお茶が飲みたいのにずっとコーラを注がれてる子で、甘えんぼうラファエロはそもそもコップの底に穴が空いちゃってて
アンジェリコ様は冷蔵庫にあるジュースなんでも好きなの飲みなって言われてるのに注いでもらえるのをじっと待ってる子っていうイメージかなぁ。それぞれの理由で満たされないと感じてるの。
アンジェリコがゲルハルト様から期待をされてなかったのは、ゲルハルト様が家督相続者と後継を産むことへのプレッシャーで精神ぶっ壊れて去勢されたからそれを強いることのないようにしてるんだろうってグランギニョルを見てる私たちは神様視点でわかってるんだけど、コクーン単体で見たらついに愛されることのなかったアンジェリコ様の悲劇になるから……うーん、親子ってむずかしいよね。
◾️獄中死した身寄りのない繭期は当然、クランを卒業した仲間にも知らされることなく埋葬されてしまうのかなって考えて 数年後のとある日にジュリオが血盟議会で人づてに強制収容クランで死んだドブネズミ臭いヴァンプの話を聞いて唐突に「全部嘘なんだ」「俺と同じでフラの血なんて引いてないんじゃないか?」などの発言がフラッシュバックして全て繋がったと同時にひどく心を取り乱す
◾️末満さんジャンヌダルク好きなんやろなって他作品見ててつぶさに思うから繭月のディエゴ、ジュリオ、エミールはフランス国民の標語である自由、平等、友愛をそれぞれ象徴してるような感じがするよね
支配下にある繭期の自由を求めたディエゴ自身がイニシアチブでジョルモロを抑圧して、逆に自由を与えられたジョルモロから反撃されるのすごく風刺を感じたり。
繭月全体を通して「誰かの手を引く」という行為がなんらかの制縛からの解放、なのかなぁ。ジュリオは一番3人の中で貴族としての気位の高さがありながらも誰かに味方することなく平等に全てを見極める賢さを持っていたし、エミールの友愛は文字通りエミールそのもの。同期〜愛しいよ〜同期…
◾️「田中は当初繭星に出て、ピエトロ役の予定だった」ことがそもそも
クラナッハを演じたあとのシナリオとして出来過ぎているのに、その上で「けど色々あってジュリオとして生きた」が役者田中亨の劇的武勇伝なんじゃよ(繭期
語り部オジイ)
◾️俺を見つけたのは父さんだ!のディエゴがいつも純粋な赤児みたいだなって思ってて。大千秋楽はついに決壊が崩れたように「父さんのイニシアチブを取ったんだ!」から涙声で、懺悔というか許しを乞うような脆さと
紙一重の部分で強がってるディエゴの弱さが入り混じってなんかもうダメだったあの一連が全部ぜーんぶ
◾️月の翳り大千秋楽、友情は無かったと同じ口から出てくるのが信じられないくらい
ディエゴの俺もう行くよ、とエミール!ごめんな…が今まで見てきた中でも一番儚く消え入りそうで、遣る瀬無くて。友情はたしかにあの言葉にあったよ。それに呼応するエミールとジュリオのお芝居も強く固い絆で結ばれてた。
最後になりますが、あたしが星野しずるくんに詠んでもらった短歌でこのバカ長備忘録を締めたいと思います。